2013年10月3日木曜日

豚肉の歴史

日本では弥生時代の遺跡から出土した骨が、
当初イノシシと思われていたが、
豚の骨と判明した。


古墳時代の遺跡からも
豚の骨が出土している。


『日本書紀』、『万葉集(萬葉集)』、
『古事記』に猪飼、猪甘、猪養などという
言葉が出てきます。


「猪」は中国では豚のことを指します。


その当時は日本でも
豚の飼育が行われていたようです。


その後、天武天皇5年675年に
最初の肉食禁止令が出され、
4月1日から9月30日までの間、
稚魚の保護と五畜(牛・馬・日本猿・鶏・犬)の
肉を食べてはいけないとされましたが、
これに豚は含まれていませんでした。


戦国時代にキリスト教イエズス会の宣教師たちが、
キリシタン大名たちを介して
肉食の慣習を日本に持ち込んだため、
一時的に豚肉が食べられるようになりました。


やがて日本の大部分の地域では
豚肉を食べる習慣は廃れ、
わずかに薩摩藩と南西諸島で、
日常的に養豚が為されていました。


琉球では17世紀以前は牛肉が
その座を占めていましたが、
羽地朝秀の改革により
牛の食用が禁止され、
その後冊封使節団を接待するため
王府により豚の大量生産が
奨励された事なども相まって、
牛肉に代わる存在となっていきました。


そして、現在の沖縄料理では
最も重要な食材となっています。


沖縄で飼育されている豚は、
1385年に渡来したという琉球王国時代より続く
血統の黒豚「アーグ」が有名です。


「アグー」または「シマウヮー(“島豚”の意)」とも呼ばれます。


一方薩摩でも、
かごしま黒豚の豚肉を用いた
薩摩料理が発達しました。


1827年(文政10年)の佐藤信淵著『経済要録』には、
薩摩藩の江戸邸では豚を飼育し、
それによって取れた豚肉を町で売っていたという
記録が為されています。


また、江戸ではもんじ屋などで食べられた。


1845年(弘化2年)5月2日の書簡によれば、
江戸幕府最後の征夷大将軍・徳川慶喜は、
島津斉彬から父・徳川斉昭宛てに
豚肉が送られていたと言われています。


そのせいか、彼は豚肉を好んで食べており、
下々の者たちから「豚一様」と呼ばれていました。


「豚一様」とは、
「豚肉がお好きな一橋様」の略称です。


西郷隆盛も脂身のたっぷりついた
豚肉料理が大好物だったといいます。


新選組も西本願寺駐屯時に、
松本良順の勧めで神戸から
子豚を持ち込んで養豚し、
食べていました。


豚の解体は京都木屋町の医者・
南部精一の弟子に依頼していました。


福澤諭吉著『西洋衣食住』には、
大坂にあった緒方洪庵の適塾にて
学ぶ塾生たちも豚を食べていたとの
記録がなされています。


明治維新以後は日本全土で
豚肉が一般に食べられるようになり、
夏目漱石の小説『吾輩は猫である』にも
そのことに関する記述が見られます。


特に関東大震災後の関東地方では
にわかに養豚ブームが起き、
豚肉の供給量が増え安価になったため、
庶民たちにも比較的手の届くものとなりました。


関東を中心とする多くの地方で
「肉」と言えば豚肉のことを指すようにもなりました。


なお、近畿地方で「肉」と言えば
牛肉のことを指し、豚肉は「豚」と呼ばれる事が多い。
そのため近畿では、
豚肉などを使った中華まんのことを
「肉まん」とは呼ばずに「豚まん」と呼んでいます。



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